園長のひとりごと

こども園、福祉全般、寺院関係、走ること、食べること、いろいろと。

2020年2月

【依存できている状態】
「誰かに依存していることを忘れるほどに依存できている状態が自立である」
これは朝日新聞の連載「折々のことば」で紹介されていた臨床心理士の東畑開人(とうはたかいと)さんの言葉です。この言葉に次の解説を書いているのが哲学者の鷲田清一さん。
「人が自らの足で立てるのは『ところどころに見えないほどに小さな椅子がきちんと用意されて』いるからだと、臨床心理士は言う。誰もが日々誰かの見えないほど小さなケアに支えられている。『自立』とは誰にも依存しないことではなく、支え合いのネットワークをいつでも使える用意ができていること。」

【できることと頼むこと】
こども園の保育を指導してくださっている認定こども園園長藤森平司さんは、「自立とは自分一人で何でもできるようになることではなく、自分でできることと人に頼むことがわかるようになること。自分でできることが分かると自分ではできないことがはっきりし、『できないから手伝って』と言えるようになる。」と話しておられます。

【依存先を増やす】
新生児仮死の後遺症で脳性まひになって以降、車いす生活をしておられる小児科医の熊谷晋一郎さんは、東日本大震災の時にビルの5階にいて、他の人はエレベーターが止まっても階段やはしごで逃げることができたけど自分にはエレベーターしか避難の手段(依存先)がなかったことを例に挙げ、「障害者というのは、『依存先が限られてしまっている人たち』のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。」と話しておられます。

【小さな椅子をたくさん作る】
どの話も、私が考えていた「自立」の概念を優しく修正してくれるものでした。自立が依存ゼロの状態なのであれば、自立した人で構成される社会は支え合いのネットワークなんて全く必要としない社会となるわけですが、それは成熟した社会とは言えず、目指すべき形ではありません。そもそも一人で何でもできる人はいないですし、だからこそ必要なときには他者に依存し、時には他者の依存先となって支え合う社会を目指すべきです。そのように考えると、子どもの自立・高齢者の自立した生活をサポートする花の村の事業は、いつでも利用できる依存先であること、多様なメニューを用意して依存先を増やせるよう準備すること、うまく依存すると生活がこんなに楽しくなりますよと提案すること、そう表現することもできそうです。この地域に求められていて、必要な時にはいつでも使える「小さな椅子(依存先)」を、たくさん作っていきましょう。