園長のひとりごと

こども園、福祉全般、寺院関係、走ること、食べること、いろいろと。

7月29日(月) ある記事を読んで

(勝手な言い分なので適当に読み流してもらった方がいいかも)
こども園の行事について、行事のあり方について、考えることがありました。運動会やおたのしみ会(いわゆる発表会)は、子どもたちに何かを仕込んで大人もビックリするような完成度を求めるようなものではありません。少なくともあさりこども園とさくらこども園ではそうです。多くの方の記憶にあることだと思っているのですが、学習発表会などで何度も何度も練習が行われ、台詞、表情、動きなど、あらかじめ決められた通りに覚えて動くことを求められ、本番でその通りにできるかドキドキし、終わった後にある種の達成感はあるものの安堵感もけっこう含まれていて…。この過程の努力や達成感が大事だと言う人もいて、その気持ちが全く分からないわけではないです。でも私はもっと優先すべき事があると思っています。終わった後に「またやりたい」と子どもが言ったとしても、かなりの興奮状態だからこそ出てくるちょっと特殊な声だと思うわけです。

こんな記事を見つけました。

otoyon.com

記事の中にこんな文章があります。

日本では何事にも非常に高い完成度を求められますが、それがちょっとでも間違ったり、不足していたらもう大変ですよね。そもそも全体の完成度が高い、にも関わらず、そこには触れられず、あまり目を向けられず、「失敗」にばっかり目を向けられる、と言うか。。。失点は厳しく指摘されるものの、良かったところはあまり認められないと言うか。しかも、この高い完成度、子どもの時からずっと求められているような…。

これって確かにありますよね。こういうのに燃える子もいるかもしれませんが、強いプレッシャーを感じる子の方が多いはず。こども園の行事では、子どもがやる気になることが一番大事で、完成度を求めることが先に来るのは変だと思います。「子どもが自発的・意欲的に関われるような環境を構成し、子どもの主体的な活動や子ども相互の関わりを大切にすること。特に、乳幼児期にふさわしい体験が得られるように、生活や遊びを通して総合的に保育すること。」と保育指針にも書いてあるように、まずは自発的・意欲的であることを大事にすべきです。教育の目的は次世代を担い得るような成熟した市民を育成すること、社会の中でよりよく生きていけるようにすることです。この目的のためにどのような手段を選択するか、常に見直しを行う必要があります。手段が目的になっていないかもチェックが必要です。と、こんなことを書いてみたくなりました。