園長のひとりごと

こども園、福祉全般、寺院関係、走ること、食べること、いろいろと。

9月11日(水) 実行委員会と◯◯ベース

10月に某団体の全国大会が島根県で行われるため、その実行委員会に出席してきました。基本形は決まっている上に調整等は事務局が行ってくれるため、与えられた持ち場を問題ない形で進めていくだけが役割となります。このような仕事を10年以上やってきましたが、そろそろこういった役割から外れてもいいかなと思っています。やっぱり参加者の様子を見て内容の変更をしたり、タイムリーな内容をふんだんに盛り込んだりできる、小規模な場づくりに時間を費やしたいという思いが強くなっています。大きな団体の活動は、もちろんそこでしか得られない関係や体験はあるけど、現状はちょっと抱えすぎてしまっています。抜けたいけどなかなか抜けられない現実はあるけど、そろそろ何とかして次の段階にいきたいと思っているんですが…。

 

全く別の話ですが、植松さんのブログがとっても響きます。

文科省が、不登校の対策として、

学校にもどすことをゴールとしない、ことになったそうです。

素晴らしいことです。

ameblo.jp

不登校については、少し前に『荻上チキ・Session-22』でも取り上げられていました。

www.tbsradio.jp

聞きながら考えさせられたのが、「不登校」という言葉の持つ根本的な問題です。「不登校」とは文字通り「登校していない状態」を指します。そしてこれを何とか改善しようと取り組みが行われているということは、登校している状態こそがあるべき状態で、登校していない状態が異常だという考えが基になっています。不登校の前は学校嫌い、行き渋り、登校拒否などと言われていました。全て学校へ行くことが前提で、それをしないことを意味する言葉です。何気なく不登校という言葉を使ってきたんですが、改めないといけませんね。ちなみにラジオの中では不登校という言葉は早くなくなるべきだと提案されていて、例えば荻上チキさんは、どこを教育のベースとしているかと考える「◯◯ベース」という言葉を使っていると話されていました。「ある人はフリースクールベース、ある人はスクールベース、またある人はホームベースドといったように、それぞれにあったベースがある」「そしてあくまでもベースなので移動することができる、フリースクールベースの人もその前にはホームベースドを経由していたりする」「選択肢があってしかもうつろえる状態がいい」そんな内容でした。すごく大事な考え方だと思います。文科省がその方向に舵を切ったのであれば、こんなにいいことはありません。でも、これを実現していくためには学校以外のベースをきちんと作り上げていく必要があります。植松さんが書かれているように「学校以外の方法で社会人になるために必要なことを学ぶ仕組み」を作ることもそうです。社会全体で取り組む必要のあることですが、加えて公的なサポートもほしいところです。どうなるかはまだ見えていませんが、いい方向に向かっているのは確かだと思います。