興味のあるもの、必要なものを明確に理解する力
昨日は選択する行為の話で、それは同時に選択したもの以外を諦める行為だと書きました。このことについて少し補足をすると、興味のあるものや必要なものを明確に理解できているから選択できるのであり、自分は興味のないものや自分にとって必要のないものを明確に理解できているからこそ選択から外すことができると言うこともできます。
自分がそれを好きなのかどうか、自分に必要なのかどうかをはっきりと言えない人もいますよね。どこに行きたい?、どっちがほしい?、何を食べたい?と選択を迫られたとき「どっちでもいい」と答えてしまった経験もあるでしょう。絶対の正解があるわけではなく、自分にとってどうかという個人的な話なのに、なぜか選択できない。これからの不確定な社会では、これはかなりよくない状態だと思います。
どんな小さなことでも、自分はこれが好き、これがしたい、これが必要だと意見を表明する、選択することができる力を、乳幼児期から始まって学校での活動も通して身につけていく必要があります。
そんな考えで、あらゆる場面で子どもが自分で決定しなければ次の活動に進んでいかない、そんなこども園の運営を行っているんですが、自由すぎるそのやり方はどうなのか?と言われることがたまーにあるんです。
子どもたちにしてみたら全然楽じゃない生活だと思いますよ、常に自分の考えを求められ、決定し、その責任を負わないといけないんですよ大人での大変だと思いますよと言いたいんですが、その言葉では伝わったと実感を持てずにいたため、別の言葉を考えなければと探していました。
そして卒園式で「子どもたちが選択の毎日を過ごしてきたことは決して好き勝手をしてきたわけではなく、選んだもの以外は諦めるというなかなか大変なことを繰り返してきたんですよ。大事な力をつけてきたんですよ。」と話したところ、今までにはなかった良い受け止め方をしてもらえたようです。
子どもたちが体験していることの意味を、ちゃんと伝わるように届けられるように、表現方法をいろいろと試す必要がありますね。