園長のひとりごと

こども園、福祉全般、寺院関係、走ること、食べること、いろいろと。

10月20日 法話

関わっている仕事の話。

以前お寺関係の広報誌に素敵に文章があったことを書きました。

その広報誌が完成し配布が始まっているので、そこにあった文章の1つを載せておきます。こういう話に出会う機会は少しでも多い方がいいと思うので。

法話」 E寺住職 O氏

娘が保育園に通い始めたばかりの頃の出来事です。入園前は、真新しい制服に通園バックを肩に掛け嬉しそうにはしゃいでいた娘。ところがいざ入園してみると、「嫌だ!行きたくない」と、大泣きをして駄々をこねる毎朝が始まったのです。新しい環境への不安や寂しさからの事とは分かっていながらも、父親の私は「泣きんさんな!よその子だって寂しいのに頑張っているんだから」といつも怒ってばかりでした。

そんなある朝、いつものようにぐずる娘を保育園に送ってきた坊守は、その車中でこんな言葉をかけたというのです。「いいかい、寂しくなったら、悲しくなったら、我慢しなくていいから泣きんさい」と。それは私とは真逆の言葉でした。

娘にとってどちらの言葉が救いとなったかは言うまでもありません。「泣くな」と言われて行く保育園と「泣いてもいいよ」と言われて行く保育園。同じ処なのに、娘にとっては全く別のものに見えたことだと思います。

『対治』と『同治』という二つの言葉があります。発熱した人を、氷で冷やすのが『対治』、温めてしっかり汗をかかせるのを『同治』と例えるように、悲しんでいる人に、「頑張れ、くじけるな」と叱咤激励するのが『対治』なら、「つらいよね、しんどいよね」と共に涙するのが『同治』なのだそうです。『対治』は否定から入り、『同治』は肯定から入るのです。

阿弥陀さまは、他の誰でもない〈私〉をそのままに受け入れ寄り添い、ともに喜びともに悲しみともに歩んで下さる『同治』の仏さまです。

『ひとり子を 一人でおかぬ 弥陀の慈悲』

思いっきり泣いたら、不思議と心がすっと軽く楽になった。皆さんにもそんな覚えがありませんか?安心して泣けるものに出遇う。これも阿弥陀さまとの出遇い(仏縁)なのだと思います。

追記 娘はその後、あの母親の言葉が効いたのかは不明ですが、喜んで通園するようになりました。一安心と同時に、自分の思慮の浅さを反省させられた出来事でもありました(苦笑)。